始めに
私たちは歴史上常に自由を追い求めてきました。長い歴史の末、人類は抑圧からの解放、言論の自由、行動の自由といったさまざまな自由を手に入れることに成功しました。
これらの歴史的行動を振り返ると、自由は人間の根源的な欲求のように見えます。しかし、私たちが得た自由を現代社会は再び手放そうとしています。個人の自由が尊重される「自由主義」ではなく、ある制約の中で生きる「全体主義」への回帰を多くの人が望んでいます。
なぜ、私たちは自由を渇望しながらも、その自由を制限する方向へと進もうとしているのでしょうか。今回の記事ではこの矛盾について考えます。
そもそも、「私たちは本当に自由を欲しているのか」という問いから考えていきましょう。そして、私たちが本当に求めているものが何かを考えていきましょう。
本記事のポイント
・自由は人間の根源的な欲求である。しかし、現代社会では自由を放棄することを多くの人が望んでいる(「全体主義」への偏重)。
・「全体主義」とは、社会全体が一つの思想を強く信奉し、同じ生活・行動パターンを取る状態を指す。
・人間には自由を求める願望と服従への願望が共存している。例えば、強い絆は自由を制限し服従を強要するが、帰属意識や安心感を提供してくれる。そのため、人々はジレンマを抱える。
・本当の自由を手に入れるには、自発的な努力が必要である。しかし、多くの人がこの努力で挫折し、結果として制約や服従の状態を望む状態に戻っていく。
学びを身に付けるために実践したいこと
難易度 1: 簡単に始められる行動
1. 様々な視点から情報を得ることで、自分が全体主義的な思考に陥っていないかを確認する。
難易度 2: 少し努力が必要な行動
2. 毎日の終わりに、自分がどのように自由を感じ、または制限されたかを振り返る。自分の内面と向き合い、自由の状態でいるかを確認する。
難易度 3: 継続的な努力が必要な行動
3. 自分の価値観に合ったコミュニティを見つけ参加する。コミュニティ内での活動を通じて、帰属意識や安心感を得るとともに、他者への貢献を通じて積極的自由を追求する。
4. 長期的な目標を設定し、それを達成するために日々努力を続ける。目標達成の過程で直面する障害を乗り越え超え、真の自由の獲得を目指す。
本記事で学んでほしいこと
歴史を通じて、私たちは常に自由を追求してきました。長い時代を経て、人類は抑圧からの解放、言論の自由、そして行動の自由を得ることに成功しました。
これらの歴史的な背景を振り返ると、自由は人間の根源的な欲求のように見えます。しかし、現代社会では、獲得した自由を手放そうとする動きがあります。多くの人々が、個人の自由を尊重する「自由主義」ではなく、ある制約の中で生きる「全体主義」への回帰を望んでいるのです。
なぜ私たちは自由を渇望しながらも、その自由を制限する方向へと進もうとしているのでしょうか?
全体主義の理解
「全体主義」とは、一人の人間に権威が集中する状態ではありません。より正確には、社会全体が一つの思想を強く信奉し、同じ生活・行動パターンを取る状態を指します。これは社会主義とは異なりますが、非常に類似しているものです。
同じ生活・行動パターンを取る状態とは自由とは程遠いといえます。現代社会はこの「全体主義」へ向かっています。
人間の根底にある服従への願望
あまり受け入れたくはありませんが、人間には自由を求める願望と服従への願望が存在しています。それらは、同程度の大きさと言われています。
自由への制約で得られるもの
例えば、強い絆は自由を制限します。一方で、帰属意識や安心感を提供してくれます。ある共通目標を持つ会社、宗教団体、また家族でさえその範囲に含まれることもあります。
自分と強く結びつきがある関係は、自分が孤独であることを忘れさせてくれます。そして、それは帰属意識や安心感として自分の心を守ってくれます。
一方で、その組織を継続的に運用していくためには、個々人の自由は制約されます。目立ったり、組織の和を乱す行動は嫌われます。そのため、人々は行動を自制します。自由と独立を求める人はこういった組織を去ることになるでしょう。しかし、それと引き換えに孤独感や不安を抱えることになります。ここに人々はジレンマを抱えることになります。
もしも、自由を獲得した後で、自由が保障される新しい居場所や関係性を築ければ全く問題ありません。しかし、失敗すると自由が重荷となり、後悔の念が強まります。結果として、安心を提供する組織により強く服従する傾向が高まります。
2つの自由
自由には2種類あります。
1つ目は消極的自由といわれます。これは、制約からの自由です。
2つ目は積極的自由といわれます。これは、目標を設定し、それを実現するために努力を続ける自由です。
現代では消極的自由は比較的容易に得られます。しかし、積極的自由を獲得するには自発的な努力が必要です。多くの人がこの努力で挫折し、結果として消極的自由に戻っていきます。
しかし、制約からの自由だけでは、帰属意識や安心感を得られることは容易ではありません。そのため、多くの人が消極的自由も放棄し、制約を求めるようになります。
模範による全体主義の構成
自分が何者かわからない時、何に帰属すべきかもわからなくなります。この状態で、模範となるモデルが現れると、社会は一律にそのモデルに従い、全体主義的な状態を形成します。
今は自由が保障され、何者にもなることが出来ます。しかし、世の中の大半の人は自分が何者か知らず、何者になるべきかもわかりません。そのため、模範があると人は安心できます。この方向に向かえば間違いないと自分が信じられれば、それ以上悩んだり考える必要がなくなるからです。
自由であるためにはどうするべきか
本当の自由を得るには、強い意志で目標に向かっていく自発性が必要です。しかし、この行動は難しく、成功するかどうかの不安もあります。結果として、多くの人は自由が重荷であると感じます。そして、安易な服従へと戻ってしまいます。
自分が納得する「何者か」になるためには、自己責任と個人の努力が不可欠です。しかし、多くの人はこの行動を継続できません。これが現代社会における苦しみの根源です。
それならば、理想を高く持つことは止めましょう。他者に認められる「何者か」になる必要はありません。つまり、積極的自由を求めながらも過度に自分のハードルを上げ過ぎないことが大切です。
そして、人との関係を過度に求めすぎず、適度な生き方が望ましいでしょう。また、何よりも自分の感情を大切にし、他人の意見に過度に影響されない意志も重要でしょう。