「善」とは何かを考える

一般教養

本記事のポイント

「善」とは客観的なものではない。むしろ、主観的なものである。

「善」は、その人の価値判断の上に形成される。つまり、個人の「価値観」と大きく関わる。

「善」とは、「他者のために自己を捧げること」を通じて「相手の幸福を願うこと」である。

「善」の実践は、個人の道徳的な成長につながる。その先には、「社会全体の幸福」の達成が可能である。

学びを身に付けるために実践したいこと

難易度 1: 簡単に始められる行動

1. 道を尋ねられた際に丁寧に答える、職場や学校で挨拶を積極的に行うなど、日常生活で出会う人々に対して親切な行動を心掛ける。

難易度 2: 少し努力が必要な行動

2. ボランティア活動に参加することで、「善」の実践を体現する。例えば、食料銀行での支援、地域清掃活動、高齢者支援などを行う。
※ これは自己の利益を超えて他者の幸福を願う「無欲」の精神を育む。

難易度 3: 継続的な努力が必要な行動

3. 自分自身の行動、考え方、価値観が社会にとって「善」をどのように促進しているかを定期的に見直す。具体的には、日記をつける、メンタルヘルスの専門家と話をする、哲学や倫理に関する書籍を読む。
※ 自己の内面を深く探求し、自由と無欲の精神を育てるための意識的な努力をする。

本記事で学んでほしいこと

「善」とは主観的概念

  個人の内面から湧き出る好意的な感情が「善」といえます。

 「善」とはを客観的なものではありません。むしろ、主観的なものです。その人の価値判断の上に形成されるものです。

 つまり、「善」は個々人の内面に生まれるものです。言いかえれば、「絶対的な善」というものは存在しないといえます。

「善」の形成

 「善」が形成される過程は、個人の「価値観」と大きく関わります。

 「価値観」とは個人が対象をどの様に考えるかに起因しています。どの様に考えるかは、対象に対しての「欲望」や「希望」として決定されます。決定された結果をもとに、個々人は対象に対して取る態度をかえます。

 もし、「価値観」が主観的な感情によって決まれば、「価値観」は「善」へ昇華されたといえます。

「善」の要素

 「善」には「自由」と「無欲」という2つの核心的要素があります。

 まず、「自由」とは、自己の意志に基づく行動のことを指します。自由に選択できる行為だこそ、「善」となりえます。

 一方、「無欲」とは、自己の利益や快楽のみを追求しないことです。あくまで、対象の幸福を願う心が前提になければなりません。

 これら2つの要素を含んで、その「価値観」は「善」となりうるといえます。

「善」の具体例

 「善」とは様々な形で現れます。しかし、それらに共通するのは「他者の幸福のために自己行為を行うこと」といえます。

 例えば、職業によっては自己の利益よりも他者の利益を優先することが求められます。また、健康についても、自分自身だけではなく、家族や社会全体のために健康でいることは重要です。こういった行為は、全て「善」といえます。

「善」と「道徳」の関係

 「道徳」とは「善」を実践することといえます。

 人が「善」を実践することで道徳的な人間となるともいえます。そして、道徳的な人間になることこそが真の自由を手に入れる手段ともいえる。

宗教における「善」の定義

 宗教は「絶対者」を求めることであり、この「絶対者」は「善」そのものです。

 そのため、宗教の究極の目的は、「個人の成長」と「善」へ近づくことであるといえます。宗教的な多くの行為は、自己を超えた他者の幸福を願うことが前提です。つまり、宗教を通した活動は「善」の実践といえます。

 宗教の中で「神」が規定されます。上記のように考えると、「神」とは「善」を具現化した存在ともいえます。

「善」がもたらすもの

 「善」とは、「他者のために自己を捧げること」を通じて「相手の幸福を願うこと」といえます。そして、これは人間の本来的なあり方であると考えられます。それは、「善性」ともいえます。

 「善性」とは「他者への関心」として存在しており、この関心こそが「善」として現れると考えられます。すなわち、人間が自己を超えて「他者のために」行動するとき、それは「善性」によって支えられているいえます。

 「善」の実践は、個人の道徳的な成長につながります。そして、社会全体の幸福の増加にも貢献できるといえるでしょう。

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